その夜、八郎太郎は不思議な夢を見ました。
天神さまが八郎太郎の夢枕に立ち、何かを告げていたのです。
”朝、鶏が鳴く頃に地震が起きて、大洪水となり湖ができる”
八郎太郎は朝目覚めてすぐにそのことを黒雨たちや宿の主、村の人々に伝えました。
大急ぎで避難する人々と共に、黒雨たちは山頂でその様子を見守っていました。
「八郎太郎さま、本当に天神さまの夢を見たんですか?これで何もなかったら……」
「何もないならない方が良いだろう。ただ俺は本当に神のお告げを聴いたんだ。間違いない。きっと湖を追われた俺を哀れに思ってのことだろう」
「考えすぎじゃないですかねえ……」
くっと涙を拭う八郎太郎に、ひたすら水季は冷ややかな目線を向けていました。
「なぜそういう態度なんだお前は、新しい住処ができるかもしれないんだぞ」
「黒姫さまの提案を蹴るための嘘八百かもしれないと思いましてね」
「なんだと……」
「いや、だってその、お嫁さん見つけて一緒に住んだ方が絶対効率良いじゃないですか!」
「しつこいぞ!」
ぐりぐりと水季の頭を拳で挟む八郎太郎に、水季が悲鳴を上げて逃れようとします。
その様子を見て、口元を隠して笑う姫の隣で黒雨も呆れ顔で眺めています。
突然、鶏の甲高い鳴き声がしたかと思うと、大地が揺れ始め、海水がドドドドッと流れ込んできました。
「やっぱり、天神さまのお告げ通りだ!」
「えええ、本当だ……」
八郎太郎は湖ができていく様を見て、ふと一人の子が逃げ遅れて洪水に巻き込まれているのを見つけました。
「子供が溺れている!」
「待て八郎太郎!まだ怪我が治ってないだろう、私が……」
黒雨の止める声も聞かず、山を駆け下りていく八郎太郎の顔は水を得た魚のようでした。
自分の住処ができた喜びの高揚感で、何もせずにはいられないのでしょう。
臆することなく水の中へ飛び込んだ八郎太郎は、やがて子供を引き上げて戻ってきました。
「太一ッ!」
子供の母親が泣きながら駆け寄り、八郎太郎に何度も頭を下げてお礼を言います。
「ありがとうございました、ありがとうございました、本当に……」
「ああいや、大したことは……」
頭をかく八郎太郎を、少し離れたところにいた黒雨と黒姫は安堵しつつ見守っていました。
「これほど頼りがいがあってお優しい方なら、既にお相手がいてもおかしくはないでしょうに」
「全くだ。まあ龍神は他の湖の主との交流を自分から持たねば、ずっと一匹のままなのは当然のことだが……」
「龍神さまのお心次第なのですね」
八郎太郎はこの洪水でできた湖を住処とし、水季と共に暮らし始めます。
新しくできた湖に早速鴨が群で集まってきました。
そんな鴨たちに水季が主のことを喋り散らしているのも、八郎太郎は気付かずただ悠々と水中を泳いでいたのでした。
鴨たちはやがて八郎太郎の湖から少し離れた田沢湖の方へ飛び立って行きました。
田沢湖の主である辰子姫は、そんな鴨たちの噂話を聴くのが楽しみの一つだったのです。
新しい湖の主のことを水季から余すことなく聞いていた鴨たちは、その生い立ちから性格まで全てを辰子姫に話していました。
「まあ……八郎太郎さまも、人から龍になった方なの?ぜひ一度お会いしたいわ」
辰子姫は似た境遇の八郎太郎に興味をそそられた様子でした。
「はい、辰子姫さまがよろしければ、お気持ちをお伝えして参ります」
一羽の鴨が前に出てかしこまって頭を下げています。
「ええ、お願いします。どんな方かしら……お話では心優しくとても勇敢な方のようだけど」
飛び立った鴨を眺めながら、あれこれと物思いに耽る辰子姫でありました。