第三章 ある男龍と昇りゆく龍(其の壱)

「それはきっと、君にとって大切なことだから悩むのだろうね」

紺色の衣をゆらゆらと風に遊ばせて、ひとりの男が、呟くように語りかけた。

「お前も反対するのか」

「いいや、私は君に賛成だよ。今までもこれからも」


彼は殊更穏やかに、柔らかな瞳をもうひとりの男に向けていた。

男の衣は漆黒だ。紺よりも深く。その彼が葛藤を抱えているのは珍しいことと見え、紺色の衣の男は、興味深いといった様子だ。しかし友人として、聞き役になっているのは彼の純粋な気持ちからだった。

「決めるのは君さ。そして、それは最良の結果になる。たとえ悲恋でも、無意味なことはない。どんなことでも君の糧となる」

「不吉なことを言うなよ。千月」

「例えばの話さ。それでも大丈夫ってこと」

たまに子供のように笑う千月に、黒衣の男は呆れ顔になり勘弁してくれと言わんばかりだ。

「次の世で成就させるなどそれこそ気の長い話だ。今こそ決めたい」

「ならそうすればいい。君ならそう言うだろうと思ってたよ。黒雨殿」




黒衣の男の名は、黒雨。

彼は今まさに、人生、否。龍世の分岐点に立っていた。

自分の気持ちを優先して、それがエゴだと騒がれたとしても自分の望みを貫くか。

周囲に合わせて自分を押し殺し、望まれている姿になるのか。

そのような悩みを、一番の友人である千月に打ち明けていたのである。

そして、その悩みはというと……

「いや、まさかあんなにぶらぶら自由気ままな君が、身を固めようなんてね」

「馬鹿にしてるのか。お前こそ、自由気ままだろ。俺よりも」

黒雨は、ふと千月の瞳を見据えた。


「はは、そうだね。そうでありたいが……もうそうも言ってられない」

「お前も誰か想う者がいるのか?ぜひ聞かせてもらいたいものだ」

「いいや、違うよ。小さな灯をね。見つけたんだ。とても大事な、俺にとってのそれこそ想いびとかもしれないが」

千月は、深い夜空に瞬く、二つの星を見つめた。