
夏が近づいてきたとはいえ、朝夜はまだ涼しく。
二人は、夜の散歩道を歩いてぼんやりとした月を眺めた。
そうしているうちに、どこからか、青白い蝶がひらひらと、こちらも二匹。
「あら、珍しい蝶ね。とても光輝いてる」
千歳はそれを目で追って愛で、どこへ行くのか、
月にまで行ってしまいそうな蝶を見つめた。
「まるで私たちみたいだね」
千迅がそっと彼女に目線を向けた。
「そうね……」
千歳の瞳は、幻想的なその蝶の行方を追ったまま、彼の視線に気づいていないようであった。
その姿に彼女の無邪気さを見て、ふうと小さく息を吐く。
それこそ彼女に聞こえないように。
「君ってなんでも楽しそうにしているよね」
「ふふ。あなたは退屈?」
「いいや、君がいるだけで十分」
気づけば蛍が周囲に集まってきて、千迅はそれを見渡しながら笑みを浮かべた。
「ただ、もっと見てほしいそうにしているものもたくさんいるみたいだ」
「本当ね。まだこんなに蛍がたくさんいるだなんて」
千歳はまたそれも喜ばしいそうに眺めた。
その様子を見て、千迅はまた息をつく。
せっかく夢のような場所で、二人一緒にいるのだから
”もっと自分を見てほしい”
という自分の本音と、
それに気づいているのか知れない無邪気な彼女に対するもどかしさ。
これも神の悪戯かと、千迅は少しの物足りなさを含めて、それでも。
ふとそれも受け入れてしまおうと、夜空を見上げた。
「最近少し、頭が重いようなスッキリしない感覚があったの。それで思うように絵が描きづらくなって」
唐突に千歳が口を開く。
「君でもそういうことってあるんだね」
「ええ。それで、頭の中をなんでもモヤモヤしてること、思い浮かんだことをなんでもかんでもたくさん紙に自由に書いてみたの、絵じゃなく、文章で。それをびりびりと破って捨てたのよ」
「それもまた珍しい。君が紙に書くことといったら絵がほとんどだろうに」
「そうなのよ。でもね、そうしてからまた筆を持ってみたら、驚くほど心がすっきりして集中できたの」
彼女はふと微笑んだ。
「私が私の心をちゃんと見てほしかったのかも。置いてけぼりにしないでって」
はっとして千迅は彼女を見た。
自分自身と同じ気持ちでいたのかと、思わず込み上げた感情が見えてしまいそうで隠す。
「君はすごいよ」
「え?」
「自分の機嫌は自分でとる。私もまだまだだと思い知らされる」
「そんなこと、あなただって十分……」
「足りないよ」
じっと彼女を見据えた。
「私は君に見てほしいと思ってた。でも君は自分で自分に求める。それが、私たちの違いさ」
彼は諦めにも似た表情でいる。
彼女はそれを見つめて、伏し目がちに答えた。
「私だって同じよ。あなたに比べて足りないことは多すぎるし、何より……狡いのよ」
「狡い?」
「ええ。私が。あなたに求めてるの。いつでも、私はあなたに期待してる。あなたからの好意や、私に向かってきてくれるのを。でもそれで怖くもある。暗い夜道、いきなり手を放されてしまったらどうしようって。だから素直になれないしあなたに甘えてしまうのよ」
「それは……簡単に言うと、私は、君にかなり好かれてるってことでいいのかな」
「簡単に言いすぎよ」
彼女はふいと顔を背けた。
く、くく、と彼は吹き出して堪えきれずに笑い声をたてた。
「そうか、ふふ、……分かった」
「もう」
肩を揺らす千迅に、千歳は肘で軽くつついて小さな抗議をするが、
彼の笑い声は止みそうにない。
