
「何かに行き詰った時は、二、三手前に戻る。最初に捕えていたものを思い出すんだ。それを手がかりに、もう一度前に進めば見えてくる」
千迅は、そう語りながら手を止めることなく、自身が書いた文章に目を通しては何かを書き足している。
「あなたは何かに行き詰ったことなどないように見えるけど」
千歳も同様に筆を進めている。
「それは私を買い被り過ぎてる。君に褒められることは嬉しいが、表に出さないだけで、私だってそういう時はあるさ」
「そう……」
千歳は、ちらと彼を盗み見た。
千迅の瞳は生き生きとして、書くこと自体を楽しんでいるように見えた。
お互いに”夢中になる”という類い稀なる才能を持つが、
彼女にとっては、彼のその表情は魅力的に見えると共に、
そう感じる自分自身に、少し悔しい気もしていた。
「何か思いついたのかい?」
千迅が書に目を通しながら、ふと笑みを浮かべて訊ねた。
「いいえ。とくには」
彼女は心の奥で、少し動揺していた。
いつも、彼は彼女の視線の先を思うところを把握しているようで、
それが、千歳にとっては、ため息が出るほど狡いと感じている。
「あなたって背中に目でもあるの?」
「ははは!そんな訳。そういう風に感じて不気味なのか?」
「そうやって面白がるあなたは嫌いじゃないけどね」
「それじゃあ君も似たようなものだ。物好きな」
「好きとは言っていないわよ」
少し不満そうな千歳を、千迅は再び笑い声をたてて紙をまとめた。
「よし、これでいい。次の分はできたから、あとは君の出来次第だ」
「ええ。あなたっていつも書き上げるの早いもの。やっぱり行き詰ったことなんてなさそう」
「言っただろ、表に出さないだけだって。それとも、思い悩む私を見てみたいのか?」
肩を寄せて訊ねてくる千迅に、千歳は背筋をまっすぐ伸ばして答えた。
「そうね、たまには。完璧な男なんてつまらないもの。少しくらい不器用な方が……」
途中で気づく、これではまるで彼をまた褒めているようだと。
「他より器用なもので」
「もういいわよ」
得意気に笑う千迅を、千歳は呆れながら笑うのであった。
