炎トリッパ-のその後の展開は過酷なのか?不便=過酷という考え方※ネタバレ注意

龍紺絵巻の管理人絵師、瀧宮千晶です。

昨日久々に高橋留美子先生作「炎トリッパー」のアニメ版を視聴しました。

いやーー面白い!伏線回収完璧で、引っかかるところがない。

以前見た時は、何だかよく分からないまま、ふかーーーく理解しないままで終わってしまっていたのですが、今見て「こんなに面白かったんだ!!」と。留美子先生天才!

ところで、

他の方の感想を見ていて、うんうんと頷きながら、ちらほら「その後を考えると過酷」「あの終わり方で幸せなのか」という意見を目にしました。

確かに、現代に慣れていた涼子が戦国時代に行って、苦労することは多々あるでしょうが、そこまで過酷か?と。

戦国時代=過酷のイメージが強すぎないかと。今と比べるとそりゃ不便なことはたくさんあるでしょう。

しかし!

今生きている私たちだって、戦国時代のご先祖さまがいてこそ存在できているわけで。

過酷と思われているその戦国時代を生き抜いてきてくれたという事実。

大変な状況の時代の中でも、心休まる時もあったり、大変だからこそ毎日を大切に生きようと思える。

便利だから良い時代、便利じゃないから過酷な時代、と決めてしまうのはちょっと考え物かと思います。

あ!!

かなーーり引っかかっていたのですが、不便=過酷にモヤモヤしていたんだと今分かってスッキリしています。

文章を書くと、自分の引っかかりポイントが明確になっていい。

戦国時代でも、その時にできることを精一杯やっていたはず。

「功名が辻」でも、貧乏時代の千代が、まな板代わりに升の裏を使って食べ物を切っていたシーンを思い出します。

あの時代、農民と武士でも、それぞれ工夫して暮らしていたことには変わりないと感じているわけです。

両者とも、現代と比べたら、物も食べ物も圧倒的に少ない。

しかし、それでいて、毎日をしっかり生きて、今の私たちに繋いでくれた。

あの時代は過酷だっただろうと片付けないで、

この命、大事に生きていきたいですね。