「正直者が馬鹿を見る」という言葉について今日はちょっと考えてみたいと思います。
言葉の意味は、ずる賢い人が得をして、正直者が損をする、ということですが…
実は私も昔は「正直者が馬鹿を見る」と思い込んでいた側でした。
真面目にやるのは損だと思ってしまった原因
私がなぜ正直に生きたら損をすると思っていたかというと、真面目の方向性を間違え、人に気を遣いすぎてばかりいたからです。
人に気を遣っていくことが真面目でやるべきことなんだと勘違いし、自分を蔑ろにしていた時期があったのです。
例えば、とある授業の課題のプレゼンを二人で取り組むのに、もう一人が音信不通になってしまって
結果自分一人で課題をこなすことになってしまったとか…
これは本当に私が実際体験したことです(-_-;)
でも先生に相談したり、本人を見かけたときに言うべきだったんですが、なんとなく言い出しにくくて…
ここで既に自分に嘘をついていたんです。
相手を困らせてはいけない、大ごとにしてはいけないと、それが大人になることなんだって変に大人ぶってました。今思うとハッキリ言えばいいのにね(((゚〰゚)))
その時から私は、「自分が真面目にやるのってなんだか損だな」と感じ始めました。
だからといってズルく生きることも小心者の私にはできず、悶々とした日々を過ごしていました。
正直者が馬鹿を見ない!と確信した時
しかし、そこであることに気づきました。
真面目にやって損をしてきたことって大抵、人に気を遣って自分に嘘をつき本心でないことをした時であると。
自分のために真面目にやること、正直でいることはなぜかうまくいく。
ここで気付いた時に完全に私は「正直者が馬鹿を見る」理論は間違いだと確信しました。
自分の心に寄り添って正直に物を言う。
間違いだと思ったら、指摘する。
私は両親にでさえそういったことをきちんと言えずにいたのです。
私が我慢すれば、言葉を飲み込めば良いんだと自分に言い聞かせていました。
全く真逆の方向へ突っ走ってしまっていたのです。
最低限の人に気を遣うことは必要だと思います。この世で生きていくあたって。
でもそれは自分が無理のない範囲で気を遣うことが必要なんです。自分を守るために。
自分を大事にする生き方をするのが最優先にすべきことです。
自分の心に正直に生きていくと周囲も変わっていく
これも私が実際に体験したことです。
自分の感じた言葉、言いたいこと、思ってることを正直に話し始めたら、
世界が変わったように周囲が優しく接してくれるようになり、
自分がいつでも心地よく生きることができるようになりました。
人に気を遣いすぎることもなく、違うことや嫌なこと、違和感をハッキリ言うようにしたら
心のモヤモヤ感がなくスッキリと生きられるようになりました。
直接言えなかったことは、家で一人でいる時に思いっきり泣いたり罵倒したりして一度吐き出していました。
それでも変化のさなかで、嫌な態度をとってくる人もいました。
しかしそれは自分がより進化しているからで、その人は寂しくて不安に駆られて「前に進んでいっちゃわないで!」と呼びかける最後の声だったのかも、と今では思います。
それはさしづめ物語によくある主人公につっかかる脇役の人のような…
でもあくまでも自分は自分。
自分を最優先に考え、どんどん前に進んでいくのが一番です。
前に進みたくないと心が思ったら進まなくていいし、
周囲から「変わらないで!」と言われて違和感を覚えたらゴーです!
まとめ
「正直者が馬鹿見ない!」理論を私は推します。
自分の心にちゃんと向き合って、自分の心の声を聴き、言うべき時にはハッキリ言う。
人に気を遣う生き方ではなく、自分を中心に置いて見つめていく生き方に変える。
それだけでどんどん生きやすくなっていきますヾ(๑╹◡╹)ノ”