なんで望むことは信じても叶わないのに、望まないことは信じて叶うと当然のように思うの。

望まない方に意図してしまったらどうしよう。

望まない意図をして取り消さなきゃ・・・

でも自信がない、ああ望まない方になってしまったらどうしよう・・・

 

ここで気付いた。

望む方へは何度もい意図したり、決定付けたりしてんのに、叶ってない。

ぜーーんぜん。

 

だったら望まない方に意図して叶うわけないじゃんか!!!

望む方は叶わなくて、望まないことが叶うなんて不公平じゃんそんなん。

馬鹿らしいし理屈に合ってない!!!(-ω-;)ウーン

 

ここで、ハッとまた気付いた。

 

今まで「叶えたいなら意図しろ」と言われてきたけど、この意図って、

「○○になりました!!」と決めて叶った!!ってことじゃなくて、

意図は在り方の問題なのでは・・・

 

在り方とは、充足を感じる今今にあるかどうか。

例えば、「お金持ちになりたい」と望んだ場合、

「お金持ちになった!」と決定して→(叶ったかな・・・)

とすると、叶わない。「お金持ちになった」→「(現象化まだかな…)」

と叶ってない現状を強化しているから。

 

ではどうしたらいいのか・・・

「お金持ちになる」→なぜ?→「安心したいから」

なら、内側の絶対的安心感の中に在ればいい。今の真っ白な空間の中、何かに没頭しているその時が今に生きているということ。

今に在ることは、充足を意図していること。

今を充実させることで、豊かさが舞い込んでくるかもしれないが、そうでなくとも自分自身に充実感は得られるはずだ。損はない。

 

それにお金持ちになることがその人の本当の幸せにつながるとは限らない。

自分で決定するより、充足を意図して今に在り、自分で選ぶことなくもっと良いもの、良い状態を受け取る方が、断然効率が良い。

 

自分が決定したかどうかではなく、今自分がどう在るか。

 

充足を意図したいなら、今に在ろう。

 

そして、望まないことを、禁じたことを考えた自分を許すこと!!

どんなことを思っても自分を許す。

 

世界=自分だから自分を責めるのはもうやめて、ただ今を生きよう。