「千冬」
千迅が一声呼びかけると、空間を切り裂くようにそれは現れた。
黒に近い紺色の、龍がゆらゆらと姿を見せた。
「ちょっとこっちに来い」
千迅はそれを手招きして方に添わせる。
「ああ……冷たくて気持ち良い」
「彼はそんな使われ方望んでいないと思うけど」
千歳が呆れながらその様子を眺めていた。
「全くだよ」
千冬、という龍は不満そうに口を尖らせた。
「だいたい、僕の主になるのは千歳の予定だったんだぞ。なんでこう……半端な男を」
「あ、主になんて口をきく。冷凍みかん、もうむいてやらないぞ」
「はあああ!?やめてよ、冷凍みかんは僕のソウルフードだぞ、それを取り上げるなんて。助けてよ、千歳」
「ふふ、じごうじとくでしょ」
そう返したのは千歳ではなく、彼女の袖口からするすると現れた、もう一匹の龍だ。
こちらは紺色で、千冬とはやや違ってまつ毛が長く、柔らかい印象である。
「主さまを怒らせるなんて、龍神失格よ。だから千冬は千歳の龍になれなかったのよ。分不相応だから」
「なにい。可愛い顔して口を開けばこの……」
二匹の言い争いをよそに、二人はマイペースで語り合う。
「龍神て顔違うかな?皆同じに見えるけど」
「え、そう?千雪は可愛らしいわ。千冬は男の子っぽいし」
「まあ、何となく伝わるけど、ほとんど似たような感じに見えるよ」
「他の動物と一緒じゃない?一見雌雄の見分けってつきにくいでしょ」
「なるほど」
「そこ!なにもそもそ話してるの。千迅、冷凍みかんはちゃんとむくんだぞ。取り上げるならコンビ解消だから」
「コンビ組んだ覚えはないけど……まあ私としては、別に千冬と千雪、交換してくれても構わない」
「私は千歳が望む限り、ずっと傍らにいるわ」
千雪という龍は、依然としてゆらゆらと千歳の周囲に漂っている。どれを千歳は愛しく見守っていた。
「ありがとう。千雪。……それにしても、最近千迅の手がみかんの匂いがしてたのは冷凍みかんを量産していたからなのね」
「え゛、洗ったのにそんなに匂ってた?言ってくれよ、私の手がみかん臭いって評判になるだろ」
「良い評判だ!そしたら皆どんどん僕のところにみかんを供物として捧げてくれる」
「お前だけだろ、喜ぶのは」
「ふふ、そしたら初のみかんの龍神さまになれるのかしら」
千歳の言葉に一同固まる。
「み……みかんの龍神さま……って、千歳、それ……」
瞬く千歳に、千冬がわなわなと近寄ると、
「最ッ高だよ!もしそうなったら、全国の神々がみかんをたくさん届けてくれて……みかんの国造りだ……え、えへ、へへへ」
涎を垂らし妄想にふける千冬に、千歳もにこにこ笑みを浮かべていた。
それを、千迅と千雪は呆れながら眺めている。
「もう。いつも聡明で頭がきれるのに、たまに千歳はちょっと抜けたところがあるのよね」
「そこがいいんだろ。完璧じゃつまらない」
「あなたも相当ね」
ふと息を吐く千雪に、千迅がニヤリと笑った。
「意外とあのふたり、良いコンビかもしれないね」
「え?」
「ほら、君の主が、みかんの神に捕られてもいいのかな」
「まあ、聞き捨てならないわ。そんな屈辱的なこと……ちょっと千冬!それ以上私の主にベタベタしないで」
するすると、千歳の元へ向かっていく千雪を見届けて、千迅はふうと深呼吸する。
「本当は、君に二匹ついてもおかしくなかったんだ」
なんと不思議な巡り合わせか。
それともそれを彼女が望んだ故か。
千迅は、千歳と二匹の龍神を眺めて、この不思議な縁に想いを馳せていた。