自分が願っていたことは、子供のころは当たり前にあるものだった【本当は全てある。失うことはない】

自分が願っていたことは、子供のころは当たり前にあるものだった【本当は全てある。失うことはない】

龍紺絵巻の管理人、今泉千歳です。

今日、自分の保育園や小学校時代について振り返っていたのですが、

そこで個人的に重要なことに気付いたのでシェアしたいと思います。

子供のころは興味のあることへ一直線

子供のころ、自分は何の心配もせず、ただただ興味のあることに向かっていたのです。

大人になってからの過去の自分は、不安と心配でどうしようもなかった。

けど、子供のころはとても自由で、自分の興味のあることに一直線だった。

では大人の今の自分はどうかというと…

また、自分の興味関心に一直線になっているのです(笑)

それと共に、不安や心配はほとんど感じないし、感じたとしてもどうしたらいいのか分かっているから動じない。

今振り返って考えてみると、一度当たり前に持っていたものを失って、対処法や様々なことを知り、レベルアップしてまた再スタートした、ような。

 

本当は全てある。失うことはない

人の願いは、最後に行きつくところは、自分の幸せだったり、安心だったりします。

子供のころはそれが当たり前だった。

で、そのありがたみに気付くために、一度自分で失くしていた。

その当然のことは本当は大事なもので、

一回失ったからこそその大切さに気付く

失ったことがあるからといって、恐怖に駆られる必要はない。

結果的にはまたこうして手に入れることができている。経験として。

だから、人生で何かを失うことはない。

ある・ない、で物事を見がちだけど、本当は全てある。

苦しいと思っていても、それは自分がそれを演じているだけで、(なくして取り戻す遊び)

 

自分の意識次第でいつでも切り替え可能なんです。

結局どっちにいこうが、幸せだったり安心だったりの道に進んでいくのですから、何も心配はいらないのです(╹◡╹)ゞ

 

そういう自分も、絵でどう表現しようか迷うことが多くあって、

なかなかスムーズに進んでいないような、本当は進んでいるような…

まあそれでもきっといつでも最善最短コースだと思って日々生きています。

と書いていたら、別ウィンドウで見ていた動画の広告の文字で「テクニックは不要」の文字が飛び込んできました(;╹◡╹)

これは私に対するメッセージ……

ついつい練習せねば!と思う私に「テクニックは不要」とのことです(。’-‘)。

うーーんそうなのかなあ…

ま!

とりあえずやってみようヾ(╹ᗜ╹)ノ”