爽やかな風が吹き、少し空気が乾燥しつつある頃。
新緑が深まる季節に、薫風がところせましと吹き、その手に葉が一枚。
「こうまで風が強いとなんだかわくわくしないか」
千迅が、外を見て胸を弾ませていた。
「そうね。なんだか新たな風のはじまりって感じ」
千迅がふと床を滑っていく紙切れに目をやった。もはやそれが彼のものか彼女のものか分からない
余った切れ端を、拾い上げる。
「しかし……屋敷中の湿気がとばされてからからになりそうだ。まあでもあまりムシムシしてるのも心地悪いし好都合だね」
「私は新鮮な風はいつでも大歓迎よ。からっとしてて気持ち良い」
千歳は風を心地よく受け流している。
髪がさらさらと風に遊ばれて、だいぶ乱れてしまっていた。
「髪、ちょっといいかな」
千迅が慣れた手つきで彼女の髪に触れた。
「君、綺麗な髪をしてるんだからもっといろいろしてみたら。まあそのままでも十分だけどさ」
「私の髪は普通よ。皆とそんなに違わないわ」
「違うよ。君の髪だ」
じっと彼は彼女の髪を愛しげに見つめた。
「あんまりそう見られると、ちょっと」
「ああ、ごめん。少し入り込み過ぎた」
「自分の世界に?」
千歳がふふと笑うと、彼は少し黙って今度は彼女に視線をやった。
「君と、私の世界だろ」
「あなたってやたら二人の世界にしたがるわよね」
「他はなくていいさ。余計なものは必要ない。君を独り占めできればそれでいい」
「本当にあなたってそういうこと平気でさらっと言えるわよね。どうしてなの?」
彼女は真っ直ぐ前を向いたまま訊ねた。
千迅は瞳を閉じて答える。
「さて、どうしてだろう。それは君にはよく分かっていてもらわなきゃ困るんだ」
すっかり整えた髪だが、彼の手はそのまま彼女の髪をぴったりと捕らえたまま離さない。
「……ありがとう」
沈黙の中、風だけが依然として強く、まるでそれだから髪を抑えていると言わんばかりの彼の手が、彼女にはどうしていいのか分からない。
どうもしなくていい、と、心のどこかで。
彼の呟きがそれだったのかもしれない。あるいは彼女自身の願望であったか。
それでも彼女はしっとりと立ち上がり、思わず千迅はその手をぱっと離してしまう。
振り返った彼女は、彼の手を取り掴む。
「わたし、あなたといてとっても楽しいの。日々のことをお話ししたり笑ったり、喜んだり……時には悲しいことだって、分かち合って乗り越えてこれたのはあなたがこうしていてくれるおかげよ。ありがとう。」
真っ直ぐな彼女の瞳が、千迅には眩しく見えた。
それでも視線を逸らすまいと、彼女の瞳を見つめる。
「それを言うなら私の方だ。君がそうやって暖かい言葉を正直に伝えてくれるのも、とても嬉しい。私の方がついまわりくどい言い方をしてしまったね」
「いいえ、表現はひとそれぞれだわ。それに、わたしとしてはあなたにはこれからもそうしてもらった方が……」
「あ、君、その方が楽だと思ってるだろ。私の表現を気付かないふりなんて、ひどいな」
「そんなつもりじゃ……でも。そうね。あなたに甘えてる時もあるかも」
「ふふ。それならいいよ」
「え、そうなの。あなたって時々よく分からない」
「その方が君に気にしてもらえそうだし」
「まあ!わざとそんな素振りをするなんて。あなたの方がひどいわ」
「ふふふ、私が君より得意なのさ、こういうことは」
彼女には、やっぱり彼のことが完全には把握しきれない。
だがそれも面白く、掴みどころがないようでいて、千歳の心を掴んで離すことはない彼であった。