風の芽吹き
厳しい冬を過ぎ、少し暖かくなってきたころ。
ふわりと心地よい桃の匂いを運ぶ風が、俺の周囲を漂う。
あたりを見回しても何も見えるはずもない、それでも視線を走らせてしまう。
「私を感じるの?」
突然、高い少女の声が耳元に響き、ハッとして振り返る。
「ああ……。ああ!聞こえるとも。君はあの時の嫁龍か、随分幼い声だが……」
俺は嬉々として訊ねた。
「嫁龍?私はまだ未婚よ。桃の節句にはまだ早い気がするけど、来てしまったの、あなたに付きたくて」
どうやらあの時の龍ではないらしい、それでも俺は心底嬉しくて、声をかける。
「姿を見せてくれないか、頼む」
「ここで現わすのは初めてなの。うまくできるかしら……」
躊躇う彼女の声が、少し心細そうに聞こえた。
俺は、一旦落ち着いて深呼吸して口を開く。
「おいで、桃」
ゆらりと姿を現した彼女は本当に幼く、かの物語の若紫のようだった。
なんと可愛らしい。
「私は桃……?名前を付けてくれたの?」
「桃のいい香りがしたからだよ」
「嬉しいわ、ありがとう」
彼女は愛らしい笑みを浮かべて寄り添ってきた。
「礼を言うのはこちらの方だ」
囁きながら、桃のかぐわしい香りをふりまく彼女をゆったりと懐に迎え入れた。