第一章 龍の姫君(其の壱)

桜が咲く庭園の少し奥、ちらちらと小さな炎が灯り、几帳が微風に揺れている。

しかし、この庭園などは年中桜だけでなく、紅葉も、若葉も、何もかも咲き誇っていた。

様々な花びらが、床に舞い、落ち着いていく。

その中で、小さな灯の前で、少しだけ動く影があった。

「はあ……」

誰にともなく、息を吐いたのは、年の頃は、二十歳くらいであろうか。ゆったりとした黒髪が頬にこぼれかかり、なまめかしい雰囲気を放っている。

「若様の文……とっても美しい字だわ。流麗で、さっぱりとしていて……」

まるで恋煩いでもしているような……いや、実際に患っているのだろう。

美しい庭園ではなく、彼女は、その文を眺めてはうっとりとしていた。


***

「ああ、暇だなあ……」

大きなあくびをして、太い木の枝にもたれかかり青年が一人呟く。

「千迅、龍王さまからのお使いよ」

そこへ一人の娘がやってきて、小包を手渡した。

「ええ?俺一人でかい?」

青年、千迅は間の抜けた声を上げて答えた。

「まあ、忙しいの?」

彼女は、彼が暇そうにしていたことを重々承知で訊ねている。故に少しからかい口調なのが、彼の心を刺激した。すぐさま反撃したくなるような……そんな気持ちにさせてしまう。

「そうじゃなくてさ……君と一緒じゃないの?」

「一緒でもいいけれど……私はその……」

「ああ、またこれだ。俺より絵をとるんでしょ」

彼は拗ねたように顔を背けた。身体は大人であるが存外中身は子供である。

「これだって龍王さまから授かった大切な……」

「ハイハイ。龍王さま龍王さまね」

彼はひらひらと手を振って、小包を受け取った。

「それで?どこに届ければいいの」

「萩の池の白菊さまのところ」

「ああ、あの女主人か……噂じゃ、ある山の若龍様にご執心だとか」

「恋に夢中になる姫龍さま。素敵じゃない」

「君だってさ。もっとそういう色恋沙汰に興味持った方がいいと思うよ。絵ばっかり描いてないでさ」

「好きなんだもの。放っておいて」

娘もまた拗ねたように顔を背けた。二人は何だかんだ似ている。

それもそのはず、この二人は魂をわけたきょうだいのようなもので、いつも二人一緒だ。だからこそ彼は腑に落ちない。

「千歳」

急に名を呼ばれて、千歳はふと千迅を見た。

「俺と一緒に行こう」

ものがたりのはじまりは突然に。