桜が咲く庭園の少し奥、ちらちらと小さな炎が灯り、几帳が微風に揺れている。
しかし、この庭園などは年中桜だけでなく、紅葉も、若葉も、何もかも咲き誇っていた。
様々な花びらが、床に舞い、落ち着いていく。
その中で、小さな灯の前で、少しだけ動く影があった。
「はあ……」
誰にともなく、息を吐いたのは、年の頃は、二十歳くらいであろうか。ゆったりとした黒髪が頬にこぼれかかり、なまめかしい雰囲気を放っている。
「若様の文……とっても美しい字だわ。流麗で、さっぱりとしていて……」
まるで恋煩いでもしているような……いや、実際に患っているのだろう。
美しい庭園ではなく、彼女は、その文を眺めてはうっとりとしていた。
***
「ああ、暇だなあ……」
大きなあくびをして、太い木の枝にもたれかかり青年が一人呟く。
「千迅、龍王さまからのお使いよ」
そこへ一人の娘がやってきて、小包を手渡した。
「ええ?俺一人でかい?」
青年、千迅は間の抜けた声を上げて答えた。
「まあ、忙しいの?」
彼女は、彼が暇そうにしていたことを重々承知で訊ねている。故に少しからかい口調なのが、彼の心を刺激した。すぐさま反撃したくなるような……そんな気持ちにさせてしまう。
「そうじゃなくてさ……君と一緒じゃないの?」
「一緒でもいいけれど……私はその……」
「ああ、またこれだ。俺より絵をとるんでしょ」
彼は拗ねたように顔を背けた。身体は大人であるが存外中身は子供である。
「これだって龍王さまから授かった大切な……」
「ハイハイ。龍王さま龍王さまね」
彼はひらひらと手を振って、小包を受け取った。
「それで?どこに届ければいいの」
「萩の池の白菊さまのところ」
「ああ、あの女主人か……噂じゃ、ある山の若龍様にご執心だとか」
「恋に夢中になる姫龍さま。素敵じゃない」
「君だってさ。もっとそういう色恋沙汰に興味持った方がいいと思うよ。絵ばっかり描いてないでさ」
「好きなんだもの。放っておいて」
娘もまた拗ねたように顔を背けた。二人は何だかんだ似ている。
それもそのはず、この二人は魂をわけたきょうだいのようなもので、いつも二人一緒だ。だからこそ彼は腑に落ちない。
「千歳」
急に名を呼ばれて、千歳はふと千迅を見た。
「俺と一緒に行こう」
ものがたりのはじまりは突然に。