愛しい道標をそっとおいていく。
後でいつでも見返せるようにと
君の居場所はいつもここに。
「よし、できた」
筆を置いた青年が、居住いを正して男に紙を手渡した。
「先生、どうでしょう」
「うむ。……んー……君はそうだな。筆は力強いが、少し、荒らさが目立つ。もう少し力を抜きなさい」
「はい」
青年は小さくため息をはいた。
男は師であろうか、座布団に腰かけて、笑みを浮かべている。
「さて。少し休憩にしよう。千歳もあまり熱中し過ぎないように」
娘がはっとして紙から目を離した。
「はい先生、でも……」
千歳はちらと書きかけの画を見た。
「ふふ、楽しいのだろうが、あまり根つめ過ぎると後に響く。細く長く続ける癖をつけなさい」
「はい」
娘は素直に頷く。
「さ、ほら。お茶を召し上がりなさい」
「ありがとうございます」
「いただきます」
静かに茶を飲み、寛ぐ三人であったが、突然青年が口を開く。
「先生、どうも私はこう地道に努力するのが向いてないみたいで……もっと自分に合うものに出会いたいのです」
「うん。それで?」
「それでって……ですからね、たまにはこう、修行から離れて町に繰り出したりとか」
「うん」
「華やかな町でこう、色んなものを見たら、なんかピーンとくるのではないかと」
「君は遊びに出掛けたいのかな」
「違います!私は真剣に……」
「真剣に聞いてるさ、遊びも大事だけど、千迅。自分に向いているかどうかは自分の心が答えを知ってる。それを知りたくば、今のやっていることに全力を注ぎなさい。君は画が上手い。もちろん千歳もね。だから、二人で励むのだ。いずれ答えが見つかる」
男の透き通った眼差しに、千迅はまだ何か言いたそうにしていた。
千歳はその様子をじっと見つめている。
ーーー
「あーー町へ出掛けたいな」
「ふふ、やっぱり遊びに行きたいんじゃない」
「違うさ。……でもまあ、ちょっぴりね」
千迅は照れくさそうに千歳を見上げた。
草原で千迅は寝転び、千歳はその隣にちょこんと座っている。
「そんなに町に行きたいなら、先生にお願いして連れて行ってもらう?」
「いや、ありゃだめだ。先生があそこまで真剣に諭してくるなら無理だよ。それより……黙って抜け出せないかな」
「うーん。そんなことしたら先生に怒られちゃうわ。1ヶ月外出禁止になったらもともこもなくなっちゃうじゃない?」
「今とそんなに変わらない気がする」
はーーと今度は大きなため息をはいた。
「なんかこう、町に行かざるをえない状況にならないかな」
「私は今ここで十分満足してるけど」
「君は欲が少ないからなあ。得だろうね。私もそういう魂でうまれてれば」
「あなたはあなたのままでそれが一番いいのよ。私たちはそれを学んでる」
千迅は今日何度目かのため息をはいた。
すると、するすると小さな龍が飛んできて、
「千歳さま、千迅さま、すぐお戻りください。千月さまがお呼びです」
「先生が?」
「なんだろう。行こう、千迅」
二人が急いで庵に戻ると、そこには数名の男がいた。
先生の向かい側に厳かな雰囲気をまといながら座っている。
「ああ、来たね。二人とも。こちらに座りなさい」
「先生、こちらの方々は……」
「瑞八ヶ池城現城主、都守さまの使いの者たちだ。千迅、君の願いが早速叶いそうだよ」
なんのことかと、千迅は千歳と顔を見合わせた。
「彼とは古くからの知り合いでね、この度、新しい城主として若君が継ぐことになったから、そのお祝いに、私を呼び寄せたいそうだ。だが、あいにく、私にはどうしても外せない用事がある。そこで、私の代わりに君たちに城へ行ってもらいたい」
「わ、私たちがですか!?……城に……」
「でも、場違いじゃないかしら、そんなおそれ多いところに私たちが出向くなんて」
「そう驚くことではない。君たちは世間で言えばもう元服を済ませた立派な大人だ。自信をもって行きなさい」
「は、はあ……」
「分かりました」
なんとも急な話に、自身の望みが叶ったといえど、千迅の心は落ち着かなかった。
