その物語の結末が、変わるのを待っている
何度も見て確認してはまた閉じて、忘れた頃にまた開く
何度それを繰り返したことだろう
淡い期待も消えて、何度もその物語は同じ結末を突き付ける
自分で作り直すことも、まして変えることもできず同じことの繰り返し
同じ物語を繰り返す
そう、私が期待を抱いて同じ物語を見ていたこと
その繰り返しこそが、同じ結末を呼んでいた
全ては私だったのだ
だから物語はいつも同じ。
ではその繰り返しをやめたら
一体どうなるその物語は
私が覚えていなければ消えてしまうくらい
脆く、誰にも知られない物語
その物語から手を放してしまえば全て終わるのに
終わらせたくない
矛盾だ
それでは嫌だと言いながら
私はこの物語を忘れたくないと思っている。
忘れてしまえば結末も全て変化するかもしれないのに
いつまで握りしめるつもりなのか
自分でも分からない
いつ幸せに変わるのかこの物語は
きっと私が手放してすぐだろう
手放してしまいたい
ただきっともうこのことは知られてしまうから
私を待っている方々には
私がずっと物語の変化を待っていたことを
だからもう自分が待つのはやめた
私を待ってくれている方々のために走り出すと決めたのだ
だからもう二度とこの物語を味わうことはないだろう
さあ行こうか
(2020/4/3)
5年後、再び見える時、
最後に見た景色はきっと――
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今からちょうど一年前、ある物語についての感想メモを書いていたことを、エバーノートを漁っていて見つけました。
その物語は未だ何も変化はしていません。世界地図はどんどん変化していくけれど、過去も未来も関係なく今だけなんだとどれだけ腑に落ちても、これだけは絶対に変わらない。
でも変化したのは自分だから、その物語の結末が変わらなくても平気な自分が今ここに。
だから何も変わらなくて良いのかもしれません。きっと。
自分が変わると求めるものが変わる。
外が変化するのではなく、自分自身が変化して視点を変えていく。
悲しい結末かもしれない物語でさえも、それで良かったんだと思えます。今の私にとっては。
その物語もきっと私の一部、そして私の味になっていると信じたい。