「主様、白龍さまの……」
「三鈴さんか!」
中ほどの大きさの黒龍が、するすると男の前に現れたのは、彼が待ち望んでいた文が届いてからである。
「はは、主様の三鈴殿への相当な入れ込み様、この要、嬉しく思いまするぞ」
「ええい、言うな。恥ずかしい」
「何を恥ずかしく思う必要がありましょうや。ささ、早うお読みくだされ」
「分かっている、からお前は下がれ」
「つれないことを……」
しぶしぶ、黒龍の要はそろそろと廊下へと出て行った。
意気揚々と、彼女からの文を広げる朔夜であったが、
段々と、その心は暗く陰っていく。
「……」
その様子を、当然戻ってくるはずもない、要はじっと見守っていたのだ。
主のただならぬ様子に、要は思わず
「主様、いかがなされました」
「いや……まあ。そうだな、はは」
命令を無視した要への叱りつけるのも忘れて、朔夜は肩を落としていた。
「本気でないなら、これ以上私に関わるのはやめろと……」
「なんと!そのような……して、朔夜さまが黒龍であると告げたのですか?」
「まさか、まだ言えるわけなかろう」
「ですが、そうでもしなければ、黒龍としての朔夜さまを三鈴さまは……」
受け入れない、そう言いたげな要に、朔夜は大きなため息をついた。
「彼女にも役目があるのだ。私が黒龍と白龍の垣根を越える覚悟があるのかと問うのは当然だな。しかしこうなれば、俺も腹を決める他あるまい」
「おお!では」
「本気だと、彼女に示すしかないだろう。ただ、それをどう伝えたものか」
考え込む朔夜に、要も同じく頭を捻る。
「あ、なれば、いっそのこと夢枕に立ってしまっては」
「なに?」
「自分が黒龍であると、朔夜さまのお姿で示すのですよ。そうして、毎晩通い詰めて、三鈴さまとお話しなさいませ。夢の中であれば黒龍であるか、朔夜さまであるか分かりませぬ。曖昧さを前にして、三鈴さまの反応を伺うのです」
「なるほど、夢の中であればこそ、か。しかし、いきなり夢枕に立とうなどと……」
「腹を括りなされ。三鈴さまへお心を示すには、古来よりの慣習に習う他ありませぬ」
「ああ。そうだな……」
その夜。
夢と現実が曖昧な境界線を、肌で感じた三鈴は、ただぼんやりと夢かもしれぬその風景を味わっていた。
「何だか今日は変だわ。いつもと違う」
三鈴は心許なげに、あたりを見渡した。
「それはきっと私のせいだな」
彼女の真白い髪留めが揺れて、振り返る
「朔夜さま……!どうして」
彼女の戸惑いに、朔夜は申し訳なさそうな顔をして
「すまない。三鈴さん。俺はその……君に打ち明けねばならぬことがあるのだ」
三鈴は黙ってじっと朔夜を見つめた。
思わず、朔夜は顔を背けたくなるが、ぐっと堪えて
「実は、俺は、君に文を送っていた。幾度も。黒龍として、名を明かさずに」
朔夜はぎゅっと目を閉じた。夢といえど、彼女の反応は怖い。
「まあ、あなただったの……本当に?」
「ああ。間違いなく。君に本気かどうか問われて、こうする他なかった」
「そう……」
三鈴はほっと息をついていた。
「怒らないのかい?」
「どうして?」
「だって、君を不快にさせたかもしれない」
「いいえ。ただ……私は白龍。あなたの黒龍一族とは相容れない関係だわ。それなのに、諦めずに文を送るなんて……私はあなたと今までろくに話したこともないのに」
「度々、お見かけすることはあった。あなたのことは。遠くから見ていた」
「まあ、それであのような情熱的な御文を……」
「そう、情熱的な、て……」
そこで、朔夜ははたと気づいた。
今まで黒龍としか明かしていなかったゆえに、あんなことやこんなこと、恥ずかしくなるような台詞まで調子にのって書いていたことを今さらになって思い出し、
みるみるうちに頭に血がのぼってきた。
「ああ、いや、あれは……その、忘れてくれ」
「忘れられませぬ。あのような御文をいただいたのは初めてで……とっても綺麗な字なのに、言葉はすごく力強く艶やかな……」
「やめてくれ!本当に、恥ずかし過ぎて消え入りたくなる」
「素敵なお言葉をありがとう」
三鈴の笑みに、朔夜の心はガッと捕まれた。
「あなたのお心が本気だと分かりました。私、ずっとあなたのような方を待っていたのやもしれませぬ。情熱的に愛してくれる方を」
三鈴は、俯きながらなおも続けた。
「一族の違いを私は気にしてばかりいました。ですが、こうしてあなたさまが名を明かしてくださった今、私もようやく覚悟を持つことができます」
「三鈴さん……」
彼女の瞳は、なんと涼やかで美しい水晶のようだと、朔夜は今さらながらに実感し、それを見つめていた。
「ですが、私、朔夜さまに忠告しておきたいことがあります」
急に距離を詰めてきた彼女に彼はどぎまぎした。
「私、あなたが思っているような従順な女ではありませぬ。愛し愛される関係、二人で積み上げていくもの。それを蔑ろにして、手に入れて放っておくつもりなら、私たちはそれまでの関係だわ」
突然の三鈴の視線に気圧されかかった朔夜だが、なんとか持ち直して、
彼女の手首を掴み、引き寄せた。
「ならば、誠心誠意あなたに尽くすと誓おう。あなたが他に目移りせぬほどに、昼夜問わず深く深く愛し抜く。……それでもよいか?」
三鈴は至近距離の朔夜の視線に目線を外し、恥じらいをもって頷いた。
「ええ。どうぞ、お手柔らかに」
ーーー
「まあ!そんな刺激的なことを……?」
千歳が口元を抑えて驚きと共に頬を赤らめた。
「ええ、とても真摯に胸の内を明かしてくださって……」
三鈴が頬を両手で包み、真白い頬をほんのり赤く染めている。
「もう恥ずかしいからやめてくれないか」
堪らず朔夜は口を開いて嗜めた。
「それにしても羨ましいわ、そんな絵物語のような情熱的な言葉、今まで言われたことないもの」
千歳は手を組み合わせキラキラと瞳を輝かせた。
「……」
すると、それまで黙っていた千迅だが、すかさず千歳の手を取り、
「すまなかった、今まで伝えてなかったが、私はいつも君の傍らにいて、口に出せないようなことをたまに考えたりして、君をどう愛し尽くそうかとあんなことやこんなこと……」
「言わなくていいわよ恥ずかしい!」
千歳はまたさらに真っ赤になって顔を左右にふった。
「情熱的な口説き文句とは言えないな」
朔夜が、はは、と渇いた笑みをこぼす。
「でも、伝え方はそれぞれだわ。その奥にちゃんと愛があればきっと想いは届くもの」
三鈴がちらと朔夜を見上げた。
朔夜は彼女の瞳を愛しそうに見つめその唇を求めた、ところではたと気づく。
それまで戯れに言い合っていた、千迅と千歳がじっと、二人の様子をドキドキしながら眺めている。
「さて、三鈴さん」
バッと袖口で三鈴を隠してしまい、そのまま抱き上げてしまう朔夜に彼女は戸惑った。
「え、あの……どこへ」
「この二人がいてはかなわぬ、昼夜問わずと言ったことをお忘れかな」
真っ赤になって黙ってしまった三鈴。
パタン、と戸を閉めて行ってしまった二人を見送って、千迅は千歳に向き直り
「では私たちも気兼ねなく……」
「もう!いい加減にしなさい」
千歳が笑いつつも千迅を嗜めた。
春の麗らかな陽気が、冬場には珍しく降り注ぎ、それぞれ思い思いに過ごす龍神たちであった。
