「あなたを嫁にいただきたいのです」
薄暗い部屋の中で、仄かにゆらめく蝋燭の灯が、消えそうになるのを、女は不安げに見つめた。
「そのようなことは私に言われても困ります。父上に話していただかなければ」
男はしばらく黙り込んでいた。
俄にスッと立ち上がり、
「分かりました」
その場を後にした。
ーーー
「ふふ……」
小さく笑みをこぼした千歳が愛しく、その絵巻を胸に抱く。
その様子を、千迅が興味深そうに近寄って見た。
「君、その物語がとても好きだよね」
「ええ。昔から好きなの。飽きずに読んでいられるわ」
そっと絵巻物を撫でた彼女に、彼は穏やかな笑みを浮かべる。
「君が喜ぶ物語を私ももっと書けるように精進したい」
「まあ……嬉しいわ。ありがとう。そう言われたら、私ももっと良いものを描けるようにしたいわね」
「君はもう十分素晴らしいものを描けてるさ。これ以上良いものを描かれたら、私の筆が追い付けなくなってしまう」
「ふふ。あなたなら追い付けるでしょう」
「また嬉しいことを言ってくれる」
二人して笑い合う。
「そういえば、今日は朔の日だね」
「そうだったわ。もうそんな頃なのね」
「てっきり朔の日だからその物語を読んでるのかと思ったけど違うの?朔の日と言えば黒龍だし」
「いいえ、全くの偶然だわ。そういえばそうね」
顔を見合せた二人である。
ーーー
「三鈴さま、文をお持ちしました」
「ありがとう。小鈴」
涼やかな瞳で、文を広げた。
女は、黒髪を耳にかけて一通り目を通すと、それを文箱に収めてしまう。
「近頃増えて参りましたね。黒龍殿からのお手紙が」
「ええ。お断り申しあげても、めげずに送ってきては恋歌の嵐だわ。少し気が滅入るわね」
「三鈴さま、決して心を許してはなりませんよ。黒龍といえばあの悪名高い暗黒一族などと下々の者らも噂しておいでです。龍族としての位をこれ以上貶めては三鈴さまのためになりませぬ」
「小鈴、そのようなことをめったに言うものではないわ。私の一族はもう衰退の一途を辿っているもの。この上は、黒龍さまに……」
「それこそ、言ってはならぬこと。名を明かさぬ黒龍など、放っておくのが賢明です」
「そうかしらね……」
三鈴は、文箱に手を添えてふうと息をついた。
ーーー
ところ変わって、千歳と千迅の屋敷には珍しい客が来ていた。
「千歳さま、朔夜さまがいらっしゃいました」
それを聞いた他の者たちがわらわらとざわめき
「なんと、誰がお茶をお出しするのじゃ」
「私は、手元が震えていけませぬ」
朔の日だと騒々しく、遣いの者もなんとなく落ち着きのない様子で、千歳や千迅は目を丸くしていた。
「千迅、どうして黒龍てこんなに避けられるのかしら」
「それはあれさ、君の好きな物語が原因。姫をいただけなくて、大洪水を起こし、関係ない人々をたくさん傷つけた」
「約束を破ったお殿様がいけないのよ。黒龍さまは悪くない」
千迅が笑いながら千歳を見た。
「君は昔からいつもそう言うよね。黒龍さまは悪くない、て。まあ、私もそう思うけど」
「私たちだって紺色で、黒とあまり変わらないじゃない?」
「これだから君たちに会いたくなる」
突然、姿を現したのは、長い黒髪はもちろんのこと真っ黒の羽織りに青の内着、それでいて、白い肌が異常に映えている一人の男である。
彼こそがまさしく朔夜であった。
「朔夜、久しぶりだね」
「前の朔の日以来ね」
二人は、変わらず朔夜を出迎えた。
「こうして急に現れて、慌てないのは君たちぐらいだ。全く良い友人たちを持ったものよ」
朔夜は嬉しいそうにそれぞれを見た。
ほどほどに世間話をして、談笑していたところで、朔夜が急に立ち上がった。
「俺も、君たちにあやかりたいものだ」
「?」
千歳と千迅は顔を見合せた。
「実はこうして参ったのには理由がある。実はその……」
口を開きかけては閉じるを繰り返し、千歳と千迅はますますその意を汲みかねていた。
「このようなことはそう口にできん、恥ずかしい話だ、やはりやめておく」
「そこまで言いかけてやめられると余計気になる」
「無理にとは言わないけれど……」
千歳が朔夜の顔を見上げると、あ、と声を漏らした。
「もしかして、私たちの元に来たのは、縁結びで?」
すると、朔夜はバッと顔を背けて目を伏せた
「さすが女は察しがいいな」
「千歳は男だとしても察しは良いと思うよ」
「ちょっと千迅。……話を戻して、朔夜は誰かに恋をしてるのね」
千歳が嬉しげに朔夜を見た。
「あーー、それを言うな、恥ずかしい、しかし、その通りだ」
「恋文は?」
「出した、が、返事はなしだ。相手には黒龍としか明かしていないからか、やはり避けられているのだろう」
「なぜ黒龍とだけ?」
「黒龍であると先に知っていればがっかりすることもないと……しかし、それが仇となって、一切の返事もない」
「この際直接会ってみたらいい」
千迅の一言に、朔夜は頭を左右に大きくふった
「俺もこの数日悩み抜いてようやく君たちに相談しようと決意したんだ、会うなどとてもじゃないが……」
「千迅、きっと彼には彼なりの心の準備が必要なのよ」
「そうかな、焦れったい。好きなら傍らにいたいと思うものだろ?」
千迅がそっと千歳を見つめて口走るのを、朔夜は思わず自身の顔を手で覆った。
「あーー見せつけてくれるな、ようし、わかった」
朔夜が急に手を叩き、頷いた。
「俺も勇気を出そう。君たちのような距離感とまではいかずとも、会うくらいなら」
「よし、今から行こう」
「今からか!?」
朔夜の戸惑いに、千迅と千歳はにっこり笑みを浮かべていた。
「私に良い考えがあるわ。逆のことをしてみましょう」
「逆のこと?」
朔夜の疑問をよそに千迅と千歳はいそいそと出掛ける準備を始めていた。
