5、失くした家【創作小説 風は琴の音とともに】

 

誰かを嫁に迎えるなどと到底考えられなかった颯一郎。

縁談を断るつもりでいた颯一郎に、姫は静かに語り始める。

 

5、失くした家

 

「颯一郎さま、少しよろしいでしょうか」

姫は一瞬の揺らぎもなくただ真っ直ぐに俺を見つめた。

その瞳に少し動揺してしまいそうになり、頷いて持ち直す。

菘は素早く立ち上がり、未だ状況を掴めていない篠一を連れ立って襖の奥へ消えた。

しんと静まり返るその場に、姫はゆっくりと語り始める。

「私の家――久々宮家は、数年前に戦で滅び、一家離散となりました」

彼女の口調はあくまで穏やかに、淡々としていた。

「私は菘と共に、今の殿様に拾われて女中として今日まで過ごして参りました。ですが、この度の長筬城の落城、捕らえられた颯一郎さまのお話を聞いていますとどうにも他人事には思えず、私から申し出たのです」

 

「同情心で嫁になどおかしな話だ。お前も、水島の殿もどうかしている」

 

「遠回しにそのような……顔が気に入らぬならはっきり申してくださればよろしいのに」

 

「顔の問題ではない! そのような安易な考えで嫁入りするなと言っているのだ」

 

水島の人間は感覚が狂っているのだ、そうに違いない。そう思わなければ理解も及ばない。

 

「ですが、こう……雷様がいらっしゃった時のように、ピシャリと閃いたのです。私は颯一郎さまの元へ行かねばならぬと」

 

呆れて返す言葉も見つからず、ただため息を漏らす。

 

そして、なぜか心の片隅でこの向こう見ずな姫を面白いとも思ってしまう自分がいた。

「顔も知らぬ、負け犬に嫁に来たいなど本当にどうかしている」

 

「負け犬とは思えぬ眼光鋭さに、御家再興の機会をうかがっているのかとお見受けいたしました」

 

思わず息が止まり、胸がざわめき立った。

 

「俺は再興など考えてはおらんぞ」

 

「いいえ、あなたさまは悟ったふりをして自分の願いを諦めていらっしゃいます。本当はもっと御家を盛り立てたい、ゆくゆくは一城の主に――」

 

「長筬は終わったんだ! お前の家と同様にな」

 

我に返り深く息を吐く。今の言はあまりにも彼女に対して軽率だった。

 

機嫌を損ねたかと唇を噛みつつ見上げたが、彼女の瞳は爛々と輝いていた。

 

「では、私と新しい御家を作りましょう」

彼女の言葉は突拍子もない。篠一と良い勝負だ。

数秒時が止まったような感覚ののち体が倒れそうになったが、慌てて体勢を立て直した。

「新しい家だと、ハハ……」

 

「笑いごとではありませぬ」

 

「呆れているのだ!!!」

 

再興などもってのほか、他にすることもなく、このままひっそりと隠居生活をするつもりでいたのにこの姫は全てを覆そうとしている。

脅威だ。いや凶器というべきか。

 

「元の長筬がなくなったなら、新しい長筬家を作るのです。颯一郎さまが最初の当主となるおつもりで」

 

姫の大真面目な態度を見るに、冗談ではない。

「ご自分の夢をそう易々と諦めてはなりませぬ」

 

「夢だと。知った風なことを言うな。俺はあの城で、あの家で、跡を継ぐつもりだった。落城したとしてもあの長筬の家で長筬の俺のまま死ぬと決めていたのだ。それでも、俺は長筬の人間としても死なせてはくれなかった。ならばもう何もない俺は、死んだように生きていく他ないだろ」

 

「颯一郎さまはたくさんお持ちになっているではありませんか。ご自分で気づいてないだけで」

 

毅然とした態度は変わらず見据えられ、奇妙な心地がした。

 

「着るもの、食べるもの、寝るところがあって、何不自由ない暮らしができているはずです。何より殿に見込まれて、命を拾ったという大きな幸運の持ち主でございます。何を情けないと思うことがありましょうか」

 

「女のお前には分からぬ。俺がどれほど生き恥を晒しているか」

 

「ええ、分かりませぬ。どうしてそうまで頑なで、いじけていらっしゃるのか」

 

「いじけっ……」

 

姫は一切悪びれることもなく挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「颯一郎さま、本当の自分のお心を見つめ直してくださいませ。あなた様は本当は生きたいのです。家にこだわってご自分を責めるのはおやめください」

 

自分を責めたいがために――そんな浅はかな考えではないと言い切るつもりが、なぜかこの姫の前ではそれが真実のように思えてならなかった。

 

 

 

「……お前は、家はどうでも良いものであったのか」

 

「それは……」

 

「家も家族も地位も失って、それはお前にとっては簡単に切り捨てられるものだったのか」

 

俺より先に何もかもを失ったであろう姫の戸惑いの表情を見て浩然と構える。

「そんな薄情な嫁ならなおさら願い下げだ」

これほどの拒絶では流石に懲りただろうと姫を眺めるが、彼女は静かに俺を見上げた。

「……家をなくし、自分まで失うては生きてはいけませぬ。たとえたった一人でも、貧しい暮らしだとしても、生きている限り人は何度でもやり直せます。それだけの力を人は誰だって持っているのです」

 

穏やかな口調から力強い言葉がどうしてこうも次から次へと出てくるのか

 

この姫は一体何を支えに生きているのか

暗い絶望の淵から立ち上がるまでの彼女の思いに、僅かながら関心を持ち始めていた。

しかしながらその場ですぐに了承するわけにもいかず、婚約の話はいったん先送りとなった。

 

 

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